18世紀のナイアガラの滝周辺公共交通整備
1850年までには、年間60,000人の人たちがナイアガラの滝を訪れたという記録もあります。また、1914年にはカナダの禁酒政策が終わったことが手伝ってか、観光客の数が100万人以上にも上がったとも言われています。
今でこそナイアガラの滝は最も有名な観光地の一つとなりましたが、どのような背景からここまで有名な観光地に発展していたのでしょうか。
ナイアガラの滝の開発は、主に周辺地域の「公共交通状況」が改善されるにつれて進んでいきます。
18世紀頃から旅行地としてナイアガラの滝を訪問する人が増加していきますが、当時は今と違い、国内や周辺の地域からの観光客が大半だったため、大きな問題が周辺の交通機関でした。水上ではなく、陸路の整備が本格的に着工されたのが19世紀の初頭。バッファロー&ナイアガラフォールズ鉄道(The Buffalo & Niagara Falls Railroad)やエリー&オンタリオ鉄道(Erie & Ontario Railroad)などの鉄道が運行を開始すると、ますます観光客の訪問が増えます。
1941年にはさらに画期的な設備が施されます。アメリカとカナダを行き来することができる橋の施工です。もともと1897年に施工された「ワールプール・ラピッズ・ブリッジ」がありましたが、最も有名なのが「レインボー・ブリッジ(Niagara Falls International Rainbow Bridge)」です。もともと「ハネムーン・ブリッジ(Upper Steel Arch Bridge)」の通称で知られていた橋がありましたが、1938年に崩壊し、その事実もあって、レインボー・ブリッジの着工に拍車がかかり、わずか1年で完成します。
※ナイアガラ川上に建てられた最初の橋は1848年完成の「ファースト・サスペンション・ブリッジ」でした。
先述したように、レインボー・ブリッジがアメリカ・カナダ間を結ぶ唯一の橋ではないのですが、ナイアガラの滝中心地に位置していることと、一般の歩行者が歩いて国境を超えることができるということで、非常に旅行者に重宝されています。
また、観光地のアトラクションとして大きな役割を担っているのが、遊覧船です。現在最も有名なナイアガラの滝の遊覧船は「
霧の乙女号」として知られていますが、実は初代の霧の乙女号は1846年と、なんと170年も前に作られ、運行が開始されました。これは一般の交通手段としてではなく、増加する観光客の「滝をより近くからみたい!」という要望に応える形で施工が開始されました。
1860年から続くナイアガラの滝ライトアップ
ナイアガラの滝を訪れる人達にとってのお目当ての一つに、ライトアップされた夜のナイアガラの滝が挙げられるでしょう。
今の技術をもってすれば特に何も特別に感じることはないかもしれませんが、これも実は一番初めに導入されたのは1860年でした。
ナイアガラの滝がイルミネーションを導入したきっかけが、同年にイギリス・ウェールズ州の王子がナイアガラの滝を訪れる時の為でした。当時はベンガルライトというあまり持続しないささやかな光で滝を照らし出していましたが、次第にライムライトを使うようになり、イギリスの王族がナイアガラの滝を訪れるような特別な時のみ点灯されていました。
電灯ではなく電力によってナイアガラの滝が初めて照らし出されたのが1879年、ルイーズ妃がナイアガラの滝を訪れた時だといわれています。
1901年にバッファローで行われた「パン・アメリカ博覧会」の際には、来場者の注意をひくために再度ライトアップされました。
今日のように毎晩ナイアガラの滝がライトアップされるようになったのは、恐らく1925年頃ではなかっただろうかといわれています。
このように、公共交通の手段が発達したことによって人の行き来が増え、観光客がナイアガラの滝を訪れるようになり、その後その観光客の需要に合わせた開発が長年かけて進められ、現在に至ります。